アクティビティ

多様な人が活躍する社会を目指して
精神の不調を意識する前に、改善に役立つフィードバックをする

2024年08月20日
  • インタビュー
  • IoB インターフェース

情動メカニズムの理解と精神の不調を緩和する脳科学技術の開発を進めている小泉愛さん(ソニーコンピュータサイエンス研究所)は、不安に陥ったときの身体的変化の計測値をもとに精神の不調を緩和するという研究をしています。このインタビューでは、小泉さんが目指すメンタルバリアフリーの研究と今後の課題について、お話を聞きました。

脳と身体の両方から
精神の不調を察知する

私は、精神状態を推定する技術を開発しています。人は不安になると、脳で意識しなくても、心拍や瞳孔径、呼吸、体の動かし方などが変化します。また、私たちの脳は、刻一刻と変わる身体の状態をモニタリングし、その情報を使って情動の制御や維持をしています。

そこで、脳と身体の両方に目を向け、相互作用から精神の働きを明らかにすることが、より効果的な精神の不調を緩和する技術の開発につながると考えています。

私はさらに、メンタルバリアフリーというコンセプトを提案しています。これまでメカニズムが複雑な脳の機能に由来する障害においては、バリアフリー化のノウハウが確立されていませんでした。そこで、教室やオフィス空間、社会システムなどをつくる際に、科学的根拠に基づいた、精神の面でも誰もが生きやすい社会にする研究を試行錯誤しながら進めています。

<strong>社会とのつながりを</strong>
<strong>生み出すきっかけ</strong>

小学校3年生ぐらいの記憶に思い入れがあります。その頃、たまたま母におつかいを頼まれたのがきっかけで、近所の不登校の女の子との交流が始まったのです。少しずつ交流を深めるうちに、その子が数年ぶりに小学校に復帰できるということになり、その子の親御さんにもとても喜んでもらえたのです。

まだ小さかった私にとって、人の役に立てるという経験は印象深いものでした。そして本当に不思議なことに、その後も似た経験を何回か繰り返すことになりました。そういった中で、繊細でとても美しいのだけど、少し生きにくいという方たちや、その心の働き、そして社会との関係性というものに興味を持ち、それが気が付けば研究という形で今につながっています。

<strong>トラウマ記憶とストレスの</strong>
<strong>移り変わりを調べる</strong>

fMRI※1と身体の計測を組み合わせた研究で、今のところ、トラウマ記憶が変質していく過程を本人が自覚する以前に捉えられることがわかってきています。見えてきたことは、いくつかの脳の領域がチームとなって、トラウマ記憶の表象と発現を支えているということです。そして、関連する領域間のバランスが日を追って変わることによって、ストレス直後の反応状態から、落ち着いたストレス反応へと移り変わることがわかってきました。

※1: 磁気共鳴機能画像法(functional magnetic resonance imaging)は、MRI装置を使って身体に悪影響を及ぼすことなく脳活動を調べる方法

さらに、PTSDなどへのリスクが高いとされる高不安者においては、トラウマ記憶の変化が起きにくいということもわかってきています。つまり、高不安者は、あたかもトラウマを経験した直後、そのまま時間が止まった、記憶が止まったような状態になってしまうのではないかと考えています。

また、トラウマへの対処法も調べています。人間はトラウマティックな体験をすると、その時の恐怖を身体が記憶していると考えられています。実際にバーチャルリアリティ(VR)を通して、健康な方にトラウマティックな出来事(エレベーターの中で暴力を受ける)を模擬的に体験してもらう実験でも、それが確かめられました。さらに、体験の際にいつもとは異なる身体の動き(防犯スプレーを吹きかける)を繰り返しトレーニングしてもらうと、トラウマ記憶が緩和されることがわかりました。

<strong>不調を解析して</strong>
<strong>本人にフィードバックする</strong>

BMIの活用方法として、脳の情報に身体も含めた状態を解析し、それを機械やアプリを使い目に見える形で示し、不調を改善する方法を探っています。一人ひとりが最適な介入手法で、自身でコントロールできる形で自身の状態について知り、知ることによって改善につなげるというループを想定しています。

現状のBMIでは、人が思考したことを機械に伝えるというアプローチが多いですが、情動の不調を自分自身が意識化できるものはまだ氷山の一角です。だから、本人が意識できていない症状をBMIで拾いあげて、その人が認識する以上に総合的にAIで解析した情報をフィードバックする。これによって、これまでにない効果的な精神ケアになる可能性があります。

現在、脳や身体の計測データを解析する際にAI(機械学習)を活用して、脳の活動のパターンや身体のトラッキングの時空間パターンから、従来法では分からなかった状態の推定や、メカニズムに迫ることが可能になってきています。

<strong>自身をよりよく理解し</strong>
<strong>誰もが参画できる社会を</strong>

私たちの理想は、BMIの技術が発展する中でも、血の通う身体をもった人間が主役であり続けることを意識しつつ、自分が自身をより良く知るためのAIや脳科学技術が、身近に安全な形であふれていることです。

現状の社会には、精神的な不調や認知機能に凸凹があることによって、学んだり仕事をしたりすることが難しい人は参画しにくい。このままでは、生み出される製品も、学校や会社のシステムも、参画できない人たちの特性を反映しないので、ますます生きづらい場所になってしまいます。だから、多様な人にとって活躍しやすい暮らしやすい社会に向け、技術を発展させ良いスパイラルが生まれるようにと考えています。

2050年は、今生まれた赤ちゃんが26歳ぐらいになり、これから学問や仕事を極め、活躍しようとする時期だと思います。だから、その頃には、どんな特性があってもスムーズに自分の豊かな才能を活かし、みんなが参画できる、参画するのが当たり前の社会になっていてほしい。そこに対して、少しでも貢献したいと考えています。

<strong>新しい視点で</strong>
<strong>脳科学を活性化してほしい!</strong>

社会全体が脳科学の恩恵をバランスよく受けとるためには、多様な視点の研究者の参画が不可欠です。例えば、脳科学のある分野では、女性研究者が少ないために、女性ならではの課題についての研究が遅れてしまっています。だから、研究に興味があるのに、現在の研究者とは視点や考え方が違っていることで尻込みしているとしたら、まさにそういった方にこそ、ぜひ一歩踏み込んでもらって、新しい視点やテーマを開拓し脳科学を活性化してもらえれば嬉しいです。

取材・執筆・動画編集 株式会社スペースタイム